東京高等裁判所 平成9年(ネ)4812号 判決 1998年11月25日
東京都中央区日本橋三丁目一四番一〇号
控訴人(原審原告)
第一製薬株式会社
右代表者代表取締役
鈴木正
右訴訟代理人弁護士
品川澄雄
同
滝井朋子
同
吉利靖雄
東京都中央区京橋三丁目二番九号
被控訴人(原審被告)
シオノケミカル株式会社
右代表者代表取締役
塩野谷貫一
徳島市国府町府中九二番地
被控訴人(原審被告)
長生堂製薬株式会社
右代表者代表取締役
播磨久明
右両名訴訟代理人弁護士
脇田輝次
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴人が当審で拡張した請求をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人シオノケミカル株式会社は控訴人に対し、金一億六九八九万円及びこれに対する平成一〇年九月二九日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(金八八二八万九六〇〇円(これに対する附帯請求を含む。)を超える部分の金員の支払を求める請求は、控訴人が当審で拡張した請求である。)
3 被控訴人長生堂製薬株式会社は控訴人に対し、金一億六九八九万円及びこれに対する平成一〇年九月二九日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(金八八二八万九六〇〇円(これに対する附帯請求を含む。)を超える部分の金員の支払を求める請求は、控訴人が当審で拡張した請求である。)
4 訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人らの負担とする。
5 仮執行の宣言
二 被控訴人ら
主文と同旨
第二 事案の概要
本件は、医薬品についての特許である本件特許権の権利者であった控訴人が、被控訴人らにおいて本件特許権の存続期間中に、医薬品の製造承認申請のため、同特許発明たる医薬品を製造して試験に使用した行為が本件特許権の侵害行為であるとして、被控訴人らに対し、不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である(本件特許権存続期間終了後である平成九年五月一日から平成一〇年四月一日までの間の被控訴人らの製造販売行為による損害の賠償を請求する部分は、控訴人が当審で拡張した請求である。)。
一 当事者間に争いのない事実
1 本件特許権及び控訴人の実施については、原判決事実及び理由欄第二(事案の概要)の二(基礎となる事実)の1及び2(原判決五頁三行目から六頁末行まで)、原判決別紙目録並びに原判決添付特許公報特許請求の範囲欄の各記載を引用する。
2 特許権存続期間中の各種試験の施行
(一) 被控訴人シオノケミカル株式会社(以下「被控訴人シオノケミカル」という。)は、本件特許の特許請求の範囲第一項に記載された物質である塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品である胃炎・胃潰瘍治療剤(商品名「シオメイスンカプセル」・「シオメイスン細粒」、以下「シオノケミカル製剤」という。)を本件特許権存続期間終了後に製造販売するため、本件特許権存続期間中に、シオノケミカル製剤につき、薬事法一四条一項所定の医薬品製造承認申請をした。
また、被控訴人長生堂製薬株式会社(以下「被控訴人長生堂製薬」という。)は、右塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品である胃炎・胃潰瘍治療剤(商品名「アミエルミンカプセル」・「アミエルミン細粒」、以下「長生堂製剤」といい、「シオノケミカル製剤」と併せて「被控訴人製剤」という。)を本件特許権存続期間終了後に製造販売するため、本件特許権存続期間中に、長生堂製剤につき、薬事法一四条一項所定の医薬品製造承認申請をした。
(二) 被控訴人らが、被控訴人製剤について製造承認申請をするためには、その申請書に、<1>規格及び試験方法に関する資料、<2>加速試験に関する資料、<3>生物学的同等性に関する資料を添付する必要がある。右各資料は、後発医薬品の製造承認申請をする場合において必要とされるものであり、被控訴人らは、被控訴人製剤につき製造承認申請をするに当たり、右各資料の作成を目的として、本件特許権の存続期間中に、それぞれ塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品を製造し、これを使用して右各資料作成のために必要な試験を行った(以下、被控訴人らが行った右試験を「各種試験」という。)。
3 製造承認の取得及び本件特許権存続期間終了後の製造販売
被控訴人シオノケミカルは平成三年一月一八日にシオノケミカル製剤につき製造承認を受け、また、被控訴人長生堂製薬は昭和六三年二月一六日に「アミエルミンカプセル」につき、平成元年一月二三日に「アミエルミン細粒」につき製造承認を受けた。
被控訴人らは、本件特許権存続期間終了(平成八年一月一日)後、それぞれ被控訴人製剤を製造販売している。
二 争点
1 被控訴人らが、本件特許権存続期間中に、、それぞれ塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品を製造し、各種試験に使用した行為が、試験又は研究のためにする本件特許発明の実施(特許法六九条一項)に当たるか。
2 被控訴人らの右行為が試験又は研究のためにする本件特許発明の実施に当たらず、本件特許権を侵害する行為であるとした場合に、被控訴人らが控訴人に対して支払うべき損害賠償額はそれぞれいくらか。
三 争点に関する控訴人の主張
1 争点1について
(一) 特許法六九条一項の「試験又は研究」の意義に関し、同項は、これが国語としての「試験」、「研究」の意義に含まれる全行為を意味するものではなく、何らかの制限が付されるものであることを規定してはいない。
しかしながら、法の適用に当たっては、法文の用語の意義を明らかにする法解釈を要するのであり、その場合に、法文の用語がどのような意義を有するかを見極めるためには、その法制度が一国の全法制度の中にどのように組み込まれ、位置付けられているか、そして、その法制度がどのように構成されているかという視点が最重要な基準であるというべきである。
しかるところ、進歩性のある新規有用な技術である発明は、これが公開されることにより、これを基礎として更なる技術進歩をもたらすことから、社会全体はその技術と経済の観点より多大な恩恵を受けるが、その反面、発明者にとって発明を公開することは、これを創出するのに多大な犠牲を要したのに、その独占的な占有を維持することが困難となるという不利益を生じることになる。そこで、進歩性のある新規有用な技術を進んで公開した者に対し、その報奨として、一定期間国家がその技術の独占を保障することにして、その開示を求めようとする法技術が特許制度であり、経済全体にとっては、進歩性のある新規有用な技術につき一定期間の独占を許すことと引換えにこれを公開させることが有益すなわち公益に合致するとしたのが、特許制度を設けた国家意思というべきである。
すなわち、特許制度における公益は、進歩性のある新規有用な技術を開示させることと、その対価として一定期間はその独占を保障することという骨格に合致してのみ成立し得るものであり、特許法一条もこの趣旨を規定したものである。
そうすると、特許法六九条一項において、「試験又は研究」に対しては、右のような特許制度の根幹である技術独占、すなわち特許権の効力が例外的に及ばないものとされているのであるから、同項の「試験又は研究」は、厳格に右の特許制度の趣旨に合致し、これが許容する限度でのみ認められなければならない。それが公益を尊重するということである。
そして、特許制度は、右のとおり、進歩性のある新規有用な技術である発明が公開されることにより、これを基礎として更なる技術進歩をもたらすことが、社会全体にとって極めて重要であるために、発明者に対し、公開の代償として、一定期間開発技術の独占を保障したものであるから、当該開発技術を第三者が無断で使用することが当然に許されるのは、第三者の実施行為が社会全体からみて、なお一層の技術の進歩に役立つこと、少なくとも、その方向を目指すものと評価できることが必須であるというべきである。したがって、特許法六九条一項の「試験又は研究」とは、少なくとも技術を次の段階に進歩させることを目的とするものでなければならない。そして、特許発明が真に実施可能であるか、新規性、進歩性を有しているかを確認する行為は、技術を進歩させる前提となる行為として、右「試験又は研究」に含まれると解することができる。
特許制度も一国の全体的法制度の中に位置しているものである以上、公益とは無縁であり得ない。自由な経済活動や薬事法上の安全確認は、それぞれに公益に合致するものであるが、特許制度が一定期間に限って特許発明の実施に当たる行為を第三者に禁じているのは、これを制限してでも守られるべき別の公益が存すると評価したからであり、特許制度上は、それが第一の公益であると評価されるべきである。したがって、特許権行使と他の公益とが矛盾する場合には、前記の特許制度の趣旨に遡って、特許権行使の制限が正当化される公益であるか否かが問われるべきである。
(二) 後発医薬品の製造承認申請に添付することが要求されている資料は、<1>規格及び試験方法に関する資料、<2>加速試験に関する資料、<3>生物学的同等性に関する資料のみであり、その内容は次のとおりである。
(1) 規格及び試験方法
その医薬品の品質を公に登録し、同時にその品質を実証する手段を示すことを目的とするものであって、当該医薬品がどのような特質・規格を有しているかを具体的に記載するとともに、その記載内容を確認する試験方法も併せ記載して、その特質・規格の記載の正確性を追確認することを可能とするものであり、医薬品が製剤である場合には、名称(販売名)、含量規格(一定の品質を有することを保障する規格値、有効成分の割合はパーセントで示す。)、性状(剤形、色、形状、香、味、錠剤の割線など)、確認試験(含量規格の項に表示した有効成分が含まれていることを確認するための試験方法などの手段)、製剤試験(バンソウコウなどの粘着性の程度、カプセル剤の含量均一性の程度、錠剤の液中での崩壊程度など、当該医薬品の製剤特性の試験結果)及び定量法(含量規格の項に表示した組成・有効成分の含有量等を測定する試験方法などの手段)の六項目を設定することを要する。
(2) 加速試験
一定の流通期間中の品質の安定性を短期間で推定するために実施する試験であり、検体を原則として気温摂氏四〇度、湿度七五パーセントの条件下で六か月以上保存した結果を示す。
(3) 生物学的同等性試験
先発医薬品と生物学的に同等であることを証明するために実施する試験であり、異なる健康人に当該医薬品(後発医薬品)と先発医薬品のそれぞれ臨床常用量を一回投与して一定時間経過後の血中濃度を測定し、さらに適当な休薬期間をおいた交叉試験(当該医薬品を投与する者と先発医薬品を投与する者とを逆にして行う同様の試験)を行い、それぞれ当該医薬品と先発医薬品の血中濃度を比較した結果を示すものである。
このうち、規格及び試験方法に関する資料は、いわば製造承認の対象となる医薬品を特定するための情報であって、すべての種類の医薬品の製造承認申請に添付することが必要とされているが、加速試験に関する資料と生物学的同等性に関する資料は、先発医薬品(新有効成分含有医薬品)の製造承認申請には添付が必要とされておらず、逆に先発医薬品の製造承認申請に添付することが必要とされている多数の厳格な資料は、後発医薬品の製造承認申請には添付が必要とされていない。これは、先発医薬品の製造承認がその有効性及び安全性についての極めて詳細な事項の確認の後に初めてなされるのに対し、後発医薬品の製造承認において確認されるべき事項が、当該後発医薬品が先発医薬品と同等であるという一点に尽きるからである。すなわち、後発医薬品は、先発医薬品と同一有効成分を有する場合であっても、医薬として、先発医薬品といささかなりとも異なっていてはならないし、優れていてもならないのである。したがって、後発医薬品の製造承認申請に添付することが必要とされている各資料を作成するために行われる試験は、技術を更に進展させることを目的とするものという性質を持つものではありえず、また、あってはならないのである。
そして、先発医薬品は既に広く販売されているものであり、その重要構成物である有効成分及び汎用添加物以外の医療用医薬品添加物とその分量が、法令の規定及び厚生省通達により、容器、被包、添付文書に記載されているほか、他の公認添加物を用いる場合も公刊されている医薬品添加物辞典を用いることが可能であるから、これらの情報に基づいて、先発医薬品と同一又はわずかな公認添加物を付加した先発医薬品に限りなく近い後発医薬品を製造し、加速試験及び生物学的同等性試験によって先発医薬品と実質的に同等との結果を出すことに、何らの技術的困難もない。
(三) したがって、後発医薬品についての製造承認申請の申請書に添付する資料を作成する目的で行われる試験が、技術の進展を目的とするものに該当することはあり得ず、特許法六九条一項所定の「試験又は研究」に当たるということはできない。
(四) 原判決は、特許法一条の規定を根拠として、特許権の効力が産業政策上の見地から制限されることがあるとし、同法六九条一項の「試験又は研究」が技術の進歩を目的とする試験又は研究のみに限定されるとすることは相当でない旨判示するが、それは誤りである。
すなわち、同法一条の規定は、発明の保護、利用を図り、発明を奨励することにより産業の発達に寄与することが特許法の目的である旨を定めるものであって、産業政策が先行し、その範囲内で発明の保護が認められるとすることは本末転倒である。同条の目的にいう「産業の発達」は、発明の保護の結果としての間接的な目的であって、この文言を根拠として発明の保護を損なうことも許されるとすることは、特許法の趣旨に反する結果となる。同条の正当な解釈を前提とすれば、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当する行為は、特許発明の内容を詳しく調べ、本質を極めるという純粋に学術的で自己完結的な行為のみを指すものである。
原判決は、薬事法上の製造承認申請の添付資料を作成するための各種試験の実施は、公益性の強い薬事法上の審査の必要のためのものであることを前提としているが、各種試験の実施は、特許権存続期間終了後の特許発明の実施に連動し、その一環をなすものであって、業としての実施行為であり、純粋に学術的で自己完結的な領域における試験ではない。
また、原判決は、被控訴人らが、本件特許権の存続期間終了後に被控訴人製剤を製造販売することを目的とし、本件特許権の存続期間中は、各種試験によって収益を得たわけでもなく、特許権者であった控訴人と直接競業したものでもないと判示する。
しかしながら、特許権存続期間終了後に各種試験を行い、次いで製造承認申請をすれば、製造承認を受けるまでに二七か月の期間を要するから、被控訴人らは、本来であれば、本件特許権存続期間終了後二七か月間は後発医薬品販売の利益を得られなかったものであるところ、本件特許権存続期間中に各種試験を実施し、製造承認を得ておいたことにより、本件特許権存続期間終了の翌日から被控訴人製剤の販売が可能となって、二七か月分の事業利益を得たことになる。被控訴人らの本件特許権存続期間中における各種試験の実施は、かかる事業利益上の有利さを確保しようとしてなされたものであり、これにより特許権存続期間終了直後に、特許権者であった控訴人との競業も生じるものである。このように、被控訴人らは、本件特許権存続期間中に各種試験を実施したことにより、後発医薬品製造販売業者が、特許権存続期間終了後に各種試験を実施し、製造承認申請手続をした場合に得られる特許権者たる控訴人の独占的な地位を右の限度で侵害したものである。
原判決は、製造承認が得られるまでにある程度の期間を要するのも、行政上の事務処理に一定の時間がかかるといった事実上の要因によるもので、特許法の趣旨とは無関係であり、薬事行政上の取扱いによって、特許権者が特許期間を延長したのと同様の利益を享受できることがあっても、それは反射的利益であって、特許法が保護する利益には当たらないとも判示する。
しかし、最高裁判所昭和三七年一月一九日判決(民集一六巻一号五七頁)は、公衆浴場法によって許可を受けた者の利益につき「適正な許可制度の運用によって保護せられるべき業者の営業上の利益は単なる事実上の反射的利益というにとどまらず、法によって保護せられる利益と解するを相当とする。」と判示しているところであり、後発医薬品製造販売業者が特許権存続期間終了後に製造承認のための試験を開始した場合に、その製造販売を行い得るまでの二七か月間、特許権者が独占的に実施品を製造販売することができる利益は、右判決の事案の公衆浴場営業者の利益と共通するから、法的利益に該当するというべきである。
2 争点2について
(一) 被控訴人らは、それぞれ被控訴人製剤の製造承認の取得のため、本件特許権存続期間中に塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品を製造し、これを使用して各種試験を行うことにより、本件特許発明を実施し、本件特許権を侵害したものであるから、控訴人は、被控訴人らに対し、平成一〇年法律第五一号による改正前の特許法一〇二条二項に基づき、本件各発明の実施に対し通常受けるべき金銭の額に相当する額を損害賠償として請求することができる。
そして、本件における実施料相当額は、本件特許権存続期間中における各種試験に使用された塩酸セトラキサート原末の使用量を控訴人の塩酸セトラキサート製剤の薬価基準に換算した額及び本件特許権存続期間終了後二七か月間における被控訴人らの被控訴人製剤販売高を被控訴人らの薬価基準に換算した額に、それぞれ実施料率を乗じて算出すべきである。
すなわち、後発医薬品を製造販売するためには、製造承認の取得が不可欠であるところ、製造承認申請のための各種試験開始から製造承認の取得までは少なくとも二七か月間の期間を要する。そして、後発医薬品となる物質が他人の特許権に係る発明である場合には、その特許権存続期間終了後に初めて各種試験を開始することができるのであるから、適法に後発医薬品の製造販売をすることができるのは、特許権存続期間終了から二七か月が経過してからである。したがって、特許権存続期間終了から二七か月が経過する前に該後発医薬品の製造販売をすることができたとすれば、それは特許権存続期間中に特許権を侵害して各種試験をしたからにほかならない。そうであれば、特許権存続期間終了から二七か月が経過する間に後発医薬品の製造販売によって得た利益は、特許権存続期間中の特許権侵害行為に基づくものというべきであるから、特許権者の損害賠償額算定のうえで、これを考慮するのは当然である。
(二) 被控訴人シオノケミカルに対する実施料相当額
ア 各種試験に使用された塩酸セトラキサート原末に係る実施料相当額
被控訴人シオノケミカルが各種試験に使用した塩酸セトラキサート原末の量は、シオメイスンカプセルの製造承認申請に係る分が一五二・八〇八キログラム(規格及び試験方法用に一四〇・八キログラム、加速試験用に一二キログラム、生物学的同等性試験用に〇・〇〇八キログラム)、シオメイスン細粒の製造承認申請に係る分が七六・四〇八キログラム(規格及び試験方法用に七〇・四キログラム、加速試験用に六キログラム、生物学的同等性試験用に〇・〇〇八キログラム)の合計二二九・二キログラムを下回らない。この使用量を控訴人の塩酸セトラキサート製剤の該期の薬価基準(ノイエルカプセルの薬価基準二一・九円、ノイエルS(細粒)の薬価基準四〇・四〇円)で換算すると二四四五万円となる。そして、本件特許権の実施料は、控訴人の塩酸セトラキサート製剤の該期の薬価基準の二〇パーセントを下回らないから、実施料相当額は四八九万円である。
イ 本件特許権存続期間終了後二七か月間に販売されたシオノケミカル製剤に係る実施料相当額
本件特許権の存続期間終了(平成八年一月一日)から、二七か月後の平成一〇年四月一日までの間の被控訴人シオノケミカルによるシオノケミカル製剤の販売高は、これを被控訴人シオノケミカルの薬価基準(平成九年三月三一日までシオメイスンカプセルの薬価基準一九・五円、シオメイスン細粒の薬価基準三三・一円、同年四月一日から平成一〇年四月一日までシオメイスンカプセルの薬価基準一六・七円、シオメイスン細粒の薬価基準二七・四円)で換算すると、平成九年三月三一日までの分がシオメイスンカプセルにつき一億六八〇〇万円、シオメイスン細粒につき二億一一〇〇万円、平成九年四月一日から平成一〇年四月一日までの分がシオメイスンカプセルにつき二億円、シオメイスン細粒につき二億四六〇〇万円をそれぞれ下回らないから、その合計額は八億二五〇〇万円を超えることになる。本件特許権の実施料は、シオノケミカル製剤の該期の薬価基準の二〇パーセントを下回らないから、実施料相当額は一億六五〇〇万円である。
ウ 右ア及びイ合計額 一億六九八九万円
(三) 被控訴人長生堂製薬に対する実施料相当額
ア 各種試験に使用された塩酸セトラキサート原末に係る実施料相当額
被控訴人長生堂製薬が各種試験に使用した塩酸セトラキサート原末の量は、右被控訴人シオノケミカルの使用量と同量の合計二二九・二キログラムを下回らず、これを控訴人の塩酸セトラキサート製剤の該期の薬価基準で換算し、前記本件特許権の実施料率を乗じた実施料相当額は、被控訴人シオノケミカルについてと同額の四八九万円である。
イ 本件特許権存続期間終了後二七か月間に販売された長生堂製剤に係る実施料相当額
本件特許権の存続期間終了から二七か月後の平成一〇年四月一日までの間に被控訴人長生堂製薬が販売した長生堂製剤の販売高を被控訴人長生堂製薬の薬価基準で換算した額は、右被控訴人シオノケミカルの販売高を上回り、これに前記本件特許権の実施料率を乗じた実施料相当額は、少なくとも被控訴人シオノケミカルと同額の一億六五〇〇万円である。
ウ 右ア及びイ合計額 一億六九八九万円
四 争点に関する被控訴人らの主張
1 争点1について
(一) 特許制度は、市場経済社会の原則である自由競争の例外として設けられた私的独占であるところ、かかる例外が容認されるのは、技術の公開等によって国内産業が健全に発達し、ひいては国民生活の向上、公共の利益を図ることができるからである。したがって、このような制度趣旨によって支えられる特許権には、この沿革に起因する限界が自ずと存在し、特許権の行使がその目的に反して国内産業の健全な発達や国民生活の向上、公共の利益等に反するような場合には、当然制限されるものであり、特許法六九条一項による制約もその一つである。
同項は、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない」と規定するが、その「試験又は研究」につき特段の定義規定は存在しないから、その意味は国語的意味により解釈されることにならざるを得ない。すなわち、試験とは、物の性質や力などを試し、又は検査することであり、研究とは物事を学問的に深く考え、調べ、明らかにすることであって、これらのために特許発明を実施したとしても特許権侵害にならないのである。
また、試験には、ある技術を完成させようとする場合に多くの試験を実施し、得られた多くの知見を総合判断することにより研究が遂行される場合におけるような、研究の一部であり、これを構成する試験と、文献に開示された事項が正しいかどうかを確認したり、ある物に他人が保証した性能が備わるかどうかを検査したりする場合のような、単にある事項を検査、確認するためだけの試験とがある。後者は、何か新しい知見を得るためのものではないが、実際に社会において広く行われており、ある特許発明が実施できるかどうか、進歩性を具備するかどうかを確認する試験のように特許制度の適正な運用のうえで重要な意味を持つものがこれに含まれるし、また、ある技術で実際に安全性が保障されるかどうかの試験もこれに含まれ、いずれも重要なものである。
控訴人は、特許法六九条一項の「試験又は研究」が、技術を次の段階に進歩させることを目的とするものでなければならないと主張するが、それは誤りである。
すなわち、このような見解に従えば、同じ試験でありながら、目的の相違により特許権侵害になったりならなかったりする法的な不安定が生じるうえに、前記のある事項を検査、確認するためだけの試験は「技術を次の段階に進歩させる」目的がない故に同項の「試験又は研究」に含まれないことになるから、例えば、ある特許発明が実施できるかどうか、進歩性を具備するかどうかを確認する試験も特許権侵害となるという不都合が生じることが明らかである。
仮に、特許法六九条一項の「試験又は研究」を「技術を次の段階に進歩させることを目的とするもの」に限定することが法の趣旨であったとすれば、立法時にそのような限定を加えることは容易であったはずであり、それがない以上、同項は試験又は研究に広く適用されるものと解さざるを得ない。
結局、本来の特許制度に立ち返ってみれば、特許期間中の特許権者の経済的利益を損なわない限り、すべての試験研究が自由であるとするのが、同項の自然で素直な解釈である。
(二) 後発医薬品につき製造承認申請をするために行う各種試験、すなわち、規格試験、加速試験及び生物学的同等性試験が、物の性質などを試し、検査することに該当し、特許法六九条一項の「試験又は研究」に当たることは明らかである。そして、これらの試験により後発医薬品が先発医薬品と品質において実質的に同等であり、先発医薬品と同一の有効性及び安全性があると認められる場合に、後発医薬品に対し製造承認がなされるのであるから、これらの試験は、将来医薬を投与される多数の患者の安全を担保するものであり、国民の安全、健康を守るうえで重要な極めて公益性の強いものであることには多言を要さない。
他方、これらの試験が特許権存続期間終了後における後発医薬品の販売を目的として行われるのであれば、これによって特許権者が特許権存続期間中に被る経済的な損害は全く存しない。
また、控訴人は、後発医薬品メーカーが先発医薬品と実質的に同等な医薬品を得ることに何らの技術的困難もないかのように主張するが、それは誤りである。
すなわち、先発医薬品の製造方法等は先発医薬品メーカーによって秘匿されているので、後発医薬品メーカーが、先発医薬品の特許権存続期間終了後に後発医薬品を販売することを企図したとしても、製剤組成、配合等について多くの試験、研究を経なければ実質的に同等な製剤を得ることはできないのである。そのため、後発医薬品メーカーの研究の成果に対し、剤型に関する発明として特許が付与されることも少なくない。
(三) したがって、被控訴人らが被控訴人製剤につき製造承認申請をするために行った各種試験が、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当することは明らかである。
2 争点2について
控訴人の主張のうち、本件特許権の存続期間が終了したのが平成八年一月一日であったこと、及び控訴人の塩酸セトラキサート製剤の該期の薬価基準の額は認め、その余は争う。
第三 争点に対する判断
一 争点1について
1 特許法六八条は、「特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有する。」旨定め、特許権が独占的排他権であって、特許権者の了解がなければ、業として特許発明を実施することは、原則としてできないとの特許権の効力を明らかにしている。そして、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」旨を定める同法六九条一項は、右のような原則に対して例外に当たる場合を定めたものであるところ、同項の「試験又は研究」という概念自体相当程度広範なものであるうえに、同項は、その「試験又は研究」の目的、「特許発明の実施」の態様等につき何らの限定も伴っていない。しかしながら、右のような限定がないからといって、およそ「試験又は研究のためにする特許発明の実施」の外形を有するあらゆる行為がこれに該当すると解することは相当ではない。なぜなら、特許法が特許権を独占的排他権として構成した趣旨又は目的との関係において、その例外たるべき合理的・実質的な根拠を伴わない特許発明の実施についてまで、特許権の効力を及ぼさないとする理由は見い出せず、同項がかかる場合までも同項該当行為に含める趣旨であるものとは考えられないからである。したがって、特定の特許発明の実施が、その「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するものであるかどうかは、特許法が特許権を独占的排他権として構成した趣旨又は目的を考慮したうえで、当該特定の特許発明の実施が、右の趣旨若しくは目的に沿い、又はこれに反しないものであるかどうか、あるいは右の趣旨又は目的に対して劣後するものではないと考えられる何らかの法的利益を実現するものであるかどうか等を検討することによって決せられるべきものと解される。
しかるところ、特許制度は、発明者にその発明を公開させ、その代償として、発明者に対し、一定の期間を限って、業としてその発明を独占的に実施する権利である特許権を付与することにより、発明に対する意欲を高め、発明を奨励するとともに、発明の公開をもって、社会一般の技術的進歩に役立たせることを制度の根幹の一つとするものであり、特許権が独占的排他権として構成される趣旨も、かかる制度目的に基づいて理解されるべきものである。
しかるときは、控訴人が主張する、技術を次の段階に進歩させることを目的とする行為、特許発明が真に実施可能であるか、新規性、進歩性を有しているかを確認する行為等は、概ね右の特許権を独占的排他権として構成した趣旨ないしその前提をなす制度目的に沿うものであるか、又は、少なくとも、その制度目的との関係において、特許権を独占的排他権として構成した趣旨に反しないものとして、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するものと解される。
しかしながら、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する行為が、右のような特許権を独占的排他権として構成した趣旨ないしその前提をなす制度目的そのものに由来するものに限られると解することはできない。なぜなら、発明者に対し、発明の公開の代償として、一定の期間を限って、業としてその発明を独占的に実施する権利である特許権を付与するものとする一方で、右の一定期間経過後は、何人も自由にその発明の実施をすることができるものとして、これを自由競争のための社会一般の財産に帰せしめることも特許制度の根幹の一つであって、特許法の枠内における解釈のみからしても、このような他の制度目的との関係において、同項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当する行為の範囲を検討すべき場合があり得ることは当然であるのみならず、前示のとおり、特許法六九条一項の「試験又は研究」という概念が広範なものであり、また、同項が「試験又は研究」の目的、「特許発明の実施」の態様等につき何らの限定も伴わないことに鑑みれば、前示の特許法が特許権を独占的排他権として構成した趣旨又は目的が、直接には特許法がその目的とするところではない社会一般の利益、より具体的には、他の法令がその目的として保護する公益との比較衡量において、これに対し譲歩しても不当とは解されない場合として、同項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると認めるべき行為も存在するものというべきであるからである。
控訴人は、薬事法上の安全確認等が公益に合致するものであるとしながら、特許制度が一定期間に限って特許発明の実施に当たる行為を第三者に禁じているのは、これを制限してでも守られるべき別の公益が存すると評価したからであり、特許制度上は、それが第一の公益であると評価されるべきであるとか、特許権行使と他の公益とが矛盾する場合には、特許制度の趣旨に遡って特許権行使の制限が正当化される公益であるか否かが問われるべきである等と主張するところ、該主張が、特許制度上は、特許法に基づく法的利益が、特許法が直接その目的とするところではない公益に対して一般的に優先するとの趣旨であるものとすれば、そのような主張は採用することができない。
すなわち、特許制度は、もとより我が国の諸法制の一分野であって、他の諸法制と無関係に存在するものでないことはいうまでもなく、したがって、特許法に基づく特許権者の法的利益にしたところで、特許法を含む我が国の諸法制全体によって構成される種々の法益の一として、他の法益、なかんずく公益との調整を欠くことのできないものであるし、また、かかる調整があり得ることを前提として、その存在意義が認められるものである。このように特許法に基づく特許権者の法的利益であっても、特許法がその直接の目的とするところではない公益との調整を図ることが必要であることは、特許法上、一条の「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」との定めのうちに既に示唆されているものというべきであるし、公益との調整を図る見地から特許権の成立を否定し、あるいはその効力を制限する規定である同法三二条、六九条二項一号、三項、九三条等において現実化しているところである。とりわけ、同法六九条一項と同様、特許権の効力が及ばないとする文言の規定によってその制限がなされている同条二項一号、三項においては、その制限をすることによって保護しようとする公益の内容(国際交通の混乱の防止、医療の混乱の防止)が具体的に明らかとなっており、かつ、それが特許法が直接その目的とするところではない公益であることからみても、特許法に基づく法的利益が、特許法が直接その目的とするところではない公益に優先するとの控訴人の立論が成り立たないことは明白である。そうすると、「試験又は研究」の目的、「特許発明の実施」の態様等につき何らの限定も伴わない同法六九条一項は、これらの規定と同様に、他の法令がその目的として保護するものを含む公益との調整を図る見地から、特許権の効力を制限する趣旨も包含する規定であると解することが自然である。
2 そこで、被控訴人らが、それぞれ本件特許権存続期間終了後に被控訴人製剤を製造販売するため、薬事法一四条一項所定の医薬品製造承認申請に添付する資料の作成を目的として、本件特許権存続期間中に、塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品を製造し、各種試験に使用した行為について、これが特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するかどうかを検討する。
(一) 後発医薬品の製造承認申請の申請書に添付することが要求されている資料が、<1>規格及び試験方法に関する資料、<2>加速試験に関する資料、<3>生物学的同等性に関する資料であること、並びに各資料の具体的内容が前示第二の三の1の(二)の(1)ないし(3)のとおりであることは、控訴人の自認するところであり、この事実によれば、右各資料を作成する目的で行う各種試験は、「試験又は研究のためにする特許発明の実施」の外形を有するものと認められる。
(二) ところで、薬事法は、医薬品の製造業の許可を受けた者でなければ、業として、医薬品の製造をしてはならない旨(同法一二条一項)、厚生大臣は、基準を定めて指定する医薬品を除き、医薬品を製造しようとする者から申請があったときは、品目ごとにその製造についての承認を与える旨(同法一四条一項)、製造業の許可の申請者が製造しようとする物が製造承認を要するものであって、製造承認を受けていないときは、その品目に係る製造業の許可を与えない旨(同法一三条一項)をそれぞれ定めており、これらの規定によれば、結局、業として医薬品を製造しようとする者は、厚生大臣が基準を定めて指定する医薬品を除き、品目ごとに厚生大臣の製造承認を得る必要があることになる。そして、同法一四条二項は、製造承認は、申請に係る医薬品の名称、成分、分量、構造、用法、用量、使用方法、効能、効果、副作用等を審査して行うものとし、同条三項は、製造承認申請をしようとする者は、厚生省令の定めるところにより、申請書に資料を添付して申請しなければならないとしているところ、後発医薬品の製造承認申請のための各種試験も、右各規定の定めに従って、厚生省令である薬事法施行規則一八条の三により申請書に添付する必要のある資料を得るために、行われるものである。
薬事法は、「医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品及び医療用具の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保健衛生の向上を図ることを目的とする。」(同法一条)ものであって、同法が医薬品の製造につき製造承認を要するものとする規制を行い、その申請に係る医薬品について所定の審査を行うのは、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保して、保健衛生の向上を図るためであると解される。そうすると、製造承認の申請者が、申請書に添付する必要のある資料を得るために行う各種試験を含む各試験の目的も、同じく、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保することに帰着することは明らかである。
控訴人は、後発医薬品の製造承認申請に係る各種試験に関し、確認されるべき事項が当該後発医薬品が先発医薬品と同等であるという一点に尽きるとか、先発医薬品の添付文書等や公刊物に記載されている情報に基づいて、先発医薬品と同一又はこれに限りなく近い後発医薬品を製造し、加速試験及び生物学的同等性試験によって先発医薬品と実質的に同等との結果を出すことに、何らの技術的困難もない等と主張するところ、仮に各種試験にその主張のような側面があるとしても、そのような各種試験についての資料の添付が要求され、製造承認に係る審査の対象とされるのは、既に製造承認を経て医薬品としての品質、有効性及び安全性が確認されている先発医薬品に係るデータを利用しつつも、後発医薬品自体についての品質、有効性及び安全性を確認して、将来後発医薬品の投与を受けることとなる多数の者の安全を確保するためであることは明らかであり、その意味で、後発医薬品についての製造承認のための審査や、その申請のために行う各種試験が、内容的に先発医薬品の場合と異なるからといって、薬事法におけるその意義の点で相違があるものということはできない。そして、このような製造承認による医薬品製造の規制、審査及びそのための各種試験が、薬事法の実現しようとする法的利益と直接関係するものであり、かつ、多数の者の生命身体の安全に直接関わる極めて公益性の強いものであることは論ずるまでもないところである。
(三) 右のとおり、本件において被控訴人らが実施した各種試験は、本件特許発明の実施に当たるものではあるが、薬事法の目的とする極めて強い公益の実現に関わるものである。それのみならず、前示の各種試験の内容等に照らすと、製造承認申請をしようとする者が各種試験を行うためにする特許発明の実施において、製造された製剤は、患者に投与されることなく各種試験を行う過程で費消されるのであるから、その特許発明の実施によって、製造承認申請をしようとする者に直接収益がもたらされるわけではなく、また、特許権者側の特許発明の実施と競業するものでもないから、特許権者が、その特許発明を実施するという側面において受ける実質的損害は皆無である。もっとも、この点は、特許権存続期間中に各種試験を経ることによって、後発医薬品メーカーが存続期間終了後直ちに市場に参入することをもって特許権者の損害と捉えるのであれば別の結論に至ることになるが、そのように解することが許されないことは次に述べるとおりである。
(四) 製造承認を得るために各種試験に着手してから、製造承認申請を経て製造承認を取得するまでの間に、各種試験の期間及び審査期間等としてある程度の日時を要し、その間、医薬品の製造が規制されることはやむを得ないことであるが、仮に、特許権存続期間中に各種試験のために特許発明を実施することが特許権の侵害に当たる行為であるとすれば、製造承認申請をしようとする者は、特許権存続期間終了後に各種試験に着手しなければならず、その後試験の期間及び審査期間等を経て、当該薬剤の製造販売を行い得るまでには、控訴人の主張によれば二七か月を要し、その間、特許権者であった者は、特許権存続期間が終了したにもかかわらず、その存続中と同様、当該発明を独占的排他的に実施し得る結果となる。しかしながら、先に述べたとおり、発明者に対し一定期間を限って、業としてその発明を独占的に実施する権利である特許権を付与するものとする一方で、右の一定期間経過後は、何人も自由にその発明の実施をすることができるものとして、これを自由競争のための社会一般の財産に帰せしめることも特許制度の根幹の一つであることを考えれば、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保して保健衛生の向上を図るという、特許法の目的とは全く無縁というべき薬事法の目的に基づく規制が存するために、特許権者であった者が、特許権存続期間終了後においてまで、社会一般の財産となるべき発明を独占し、自由競争を阻害するようなこととなる事態は、特許法の観点からみても直ちに容認されるべきではないといわなければならない。
まして、右のような薬事法の目的に基づく規制から医薬品を製造できない期間がやむを得ず生じることを根拠に、特許権存続期間終了後直ちに他者によって当該発明が実施され、特許権者であった者の発明の実施と市場において競合することが、あたかも、特許法によって特許権者に認められた法的地位ないし利益を侵害するものであるかのようにいう控訴人の主張は到底許容されるものではない。薬事法上の規制は、医薬品の品質、有効性及び安全性を確保して保健衛生の向上を図るという同法の目的に基づくものであって、当該医薬品に係る特許権者がその製造販売を独占的に行うことを保障することを目的とするものではないから、仮にその規制の影響で特許権者に何らかの利益が生じるとしても、それは単なる反射的利益にすぎず、法的利益とはなり得ないものである。
なお、この点に関し、控訴人は、最高裁判所昭和三七年一月一九日判決(民集一六巻一号五七頁)の判示を引用して、後発医薬品メーカーが特許権存続期間終了後に製造承認申請のための各種試験を開始した場合に、製造販売を行い得るまでの二七か月間、特許権者が独占的に実施品を製造販売することができる利益が法的利益に該当すると主張する。しかし、同判決は、都道府県知事が第三者に対してなした公衆浴場営業許可処分につき、既存の公衆浴場営業者にその処分の無効確認の訴えを提起する原告適格ないし訴えの利益を認める前提として、当該処分の根拠となる行政法規である公衆浴場法が、公衆浴場の営業を許可制とし、かつ、一定間隔の距離をもって許可の要件としたことが、単に公益の実現を目的とするに止まらず、被許可者を濫立による経営の不合理化より守ろうとする目的も有するものとして、既存の公衆浴場営業者の営業上の利益を同法によって保護された個人的・具体的利益であるものと解したものである。これに対し、医薬品の製造承認処分の根拠となる行政法規である薬事法が、公益の実現を目的とするほかに、特許権者であった者の特許権存続期間終了後における発明独占の利益を保護することを目的として、後発医薬品の製造を許可処分(製造承認)に係らしめ、かつ、その要件(審査基準)を定めたものと解する余地は全くなく、したがって、同判決の事案に係る既存の公衆浴場営業者と本件事案に係る特許権者であった者(先発医薬品製造業者)とは、それぞれの処分との関係における法的立場を全く異にし、控訴人の右主張が失当であることは明白である。
(五) 以上の各点を総合すれば、薬事法が製造承認の制度を設けて保護しようとする公益の内容が、前示の特許権を独占的排他権として構成した趣旨ないしその前提をなす制度目的との比較衝量において劣後するものとは考えられず、特許権存続期間中に、各種試験のために特許発明を実施しようとする場面においても、かかる限度に止まる限り、これに対し特許権の効力が及ばないものとすることにより、特許権を独占的排他権として構成した趣旨ないし制度目的が、右薬事法の実現しようとする公益の前に譲歩するものとすることが不当であるとは到底解されない。のみならず、特許権存続期間中に各種試験を行うためにする特許発明の実施に対しては、特許権の効力が及ばないものとすることは、一定の期間を限って、発明者に対し、業としてその発明を独占的に実施する権利である特許権を付与するものとする一方で、右の一定期間経過後は、何人も自由にその発明の実施をすることができるものとして、これを自由競争のための社会一般の財産に帰せしめるという特許制度の他の目的にも符合するものである。
そうすると、特許権の存続期間中に各種試験を行うために特許発明を実施することは、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するものとして、特許権の効力が及ばないものと解するのが相当である。
3 昭和六二年法律第二七号により、特許権存続期間の延長登録制度(特許法六七条二項、六七条の二ないし同条の四)が設けられたことも、製造承認申請をしようとする者が特許権存続期間中に各種試験のために特許発明を実施することが、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当することを裏付けるものということができる。
すなわち、特許権存続期間の延長登録制度は、薬事法に基づく製造承認を含む(特許法施行令一条の三第二号)「その特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分」を受けることが必要であるために、その特許発明の実施をすることが一定期間以上できなかった場合に、一定の限度内で当該期間に相当する期間、特許権存続期間を延長することをその趣旨とするものであるが、かかる制度が設けられたことにより、特許権者は、特許権存続期間のうち、自らの製造承認申請のために侵食された期間に相当する期間の補填を受け、原則として特許法の定める特許権存続期間と同じ期間だけ当該発明の独占的排他的な実施を確保し得ることとなったのであるから(延長登録制度上の最長・最短期間の制限のために、現実には特許法の定める特許権存続期間と同期間にならないことがあり得るものとしても、それは同制度についての内部的な制度設計に関する問題であるにすぎない。)、その上さらに、後発医薬品の製造承認申請をしようとする者が特許権存続期間中に各種試験のために特許発明を実施することが特許権侵害に当たるものとして、延長された特許権存続期間の終了後においてまで当該発明の独占的排他的な実施の期間を生じさせることは、およそ合理的な説明のなし難いことであるといわなければならない。
本件証拠中には、この点につき、延長登録制度の立法当時、農薬取締法二条に基づく農薬登録を得る目的でなされた試験につき、技術の進歩を目的とするものでなく専ら販売を目的とするものである場合には、特許法六九条一項にいう試験研究たる実施に当たらないとした東京地裁昭和六二年七月一〇日判決(無体裁集一九巻二号二三一頁)が存在し、学説の多くの賛同を得ていたのであるから、仮に、立法者に、特許権存続期間中における後発医薬品の製造承認申請のための各種試験を適法とする意思があれば、明文の規定を置く等の手だてが講じられたはずであるにもかかわらず、何らの措置も講じられなかったのであるから、右の当時の判例学説を前提として、特許権存続期間の延長登録制度が設けられたと解すべきであるとの見解を述べる論考が存在するが、同項は、右立法前から、その「試験又は研究」の目的、「特許発明の実施」の態様等につき何らの限定も伴っていなかったことに鑑みれば、右立法当時の立法者意思が製造承認申請のための試験を同項から除外するというものであれば、むしろ、その旨を明文の規定により明らかにしたはずであると考えるのが自然である。のみならず、右論考の挙げる地方裁判所の判決一例があったからといって、それが一般論として説くところが当時の確立した判例であったといえないことも明白である。したがって、右見解は到底採用できるものではない。
また、本件証拠中には、延長登録制度上の最長期間が理論的に算出されたものではなく、政策的に決定されたものであること、同制度がない場合に特許権存続期間中の各種試験が特許権侵害となる以上、同制度がある場合にも、各種試験が特許権侵害とならない旨の明文の規定がなければ、各種試験は特許権侵害と考えるべきことを理由として、各種試験が特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に当たらないことを説明しようとする論考が存在する。しかし、延長登録制度上の最長期間の制限のために、特許権者による発明の独占的排他的な実施の期間が特許法の定める特許権存続期間と同期間とならないとしても、それは同制度の内部的な制度設計に関する問題であること、同制度を考慮しなくとも、後発医薬品の製造承認申請をしようとする者が特許権存続期間中に各種試験のために特許発明を実施することが特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると解されることは、いずれも前示のとおりである(各種試験が同項に該当すると解さなければ、延長登録制度の説明がなし難いからといって、逆に同制度がない場合には、各種試験が同項に該当しないということにはならない。)。したがって、この見解も到底採用し得ない。
さらに、本件証拠中には、特許法は、そもそも先発メーカーと後発メーカーとの間に二〇年(特許権存続期間)プラスαのタイム・ラグを予定しているものとして、特許権者であった者の延長された特許権存続期間の終了後の当該発明の独占的排他的な実施の期間を説明しようとする論考もあるが、特許法上、延長登録制度の適用を受ける特許権に限って、かかるプラスαが付与されることを相当とする実質的な根拠は見い出し難い。
4 以上のとおり、薬事法に基づく製造承認申請の申請書に添付する資料の作成を目的とし、そのために必要な各種試験のために特許発明を実施することは、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するものと解すべきであるから、被控訴人らが、それぞれ被控訴人製剤につき製造承認申請をするために、その申請書に添付する必要のある各種試験に関する資料の作成を目的として、本件特許権存続期間中に、塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品を製造し、各種試験に使用して、本件特許発明の実施をしたことが本件特許権を侵害するものということはできない。
二 右一のとおり、被控訴人らが、本件特許権存続期間中に、塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品を製造し、各種試験に使用して、本件特許発明の実施をしたことが本件特許権を侵害するものということができない以上、控訴人の被控訴人らに対する本件請求は、争点2について判断するまでもなく理由がない。
よって、原判決は相当であるから本件控訴を棄却し、控訴人が当審で拡張した請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六七条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)